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三泊四日の吉方位旅行をはじめて3回目、通算49回目の吉方位旅行です。
犬山城は、30年前に行ったときの印象が、なぜか克明に残っています。
実は、奥村邸というフレンチに行きたかったのですが、この日はおやすみでした。
その代わりというわけではありませんが、旅先では天ぷらそば、ということで、たどり着いたのが「蕎麦匠まつい」です。
バスは、「岐阜公園歴史博物館前」で下車します。
このほかに、写真を取り忘れたステーキ(50グラムくらい)があるフルコースです。
夕食のフレンチは美味しいのですが、これを上回るのが朝食です。
残念なのは、夢京橋キャッスルロードも四番町スクエアも、それらしく作ったセットであって、歴史も風格もなにもない点です。
安土駅にある観光案内所で地図をもらいつつ、観光スポットを説明してもらいます。
そして、城巡りの旅です。
お城は好きな方なので、国宝級は、松山城を除いて制覇しています。
犬山城と彦根城は、30年ほど前に行ったきりの2回めです。
時の流れは、城巡りを快適にしてくれました。
犬山城
犬山城は、織田信長の叔父の、織田信康が1537年に木之下城を移築したと伝わる城です。
本町通りから見た犬山城 本町通りは古い建築物が残り、まるで川越のようです。 |
明治になって、天守以外は取り壊されて公園となります。
その後、1891年の濃尾地震によって、天守は大きな被害に見舞われ、これがきっかけとなって、旧城主の成瀬家に譲渡されます。
譲渡の条件は、天守を修復することでした。
天守は、1935年に国宝に指定され、現存する天守の中でも最も古いとされ、2018年には国の史跡にも指定されました。
2004年までは成瀬家(個人所有)だった犬山城ですが、現在は、公益財団法人犬山城白帝文庫の所有となっています。
犬山城までは、名鉄犬山駅から徒歩30分ほど。
川越のような本町通り商店街を通り抜けると、その姿が見えてきます。
犬山城の入場料金は550円、日本最古の天守に登るための必要経費を払います。
天守から見る木曽川 |
犬山城の石垣はチャート |
空堀 |
犬山城は、30年前に行ったときの印象が、なぜか克明に残っています。
雨が降っていて、天守閣の最上階にはられた赤い絨毯がしっとりしていた記憶です。
数年前に城内の階段も整備されたそうで、以前よりも快適になっていましたが、階段は急で、足腰が丈夫なうちに城巡りしようと、思い直しました。
木曽川から見る犬山城
犬山城は、木曽川に面しているので、木曽川の遊覧船もオススメです。
遊覧船は、迎帆楼という高級温泉旅館のすぐそばから出港しています。
遊覧時間は40分、乗船料金は1000円になります。
犬山城前観光案内所で遊覧船の乗船申込みができます |
手前に見えるのが迎帆楼 |
出港してすぐに地上からは見られない犬山城がみられます |
帰りは少し違う角度の犬山城 |
木曽川には、犬山城の石垣になったチャートという岩石が、水上に現れている場所があります。
チャートが露出していて堆積物であることがわかります |
チャートは、石英を主成分とする岩石なので、とても硬いそうです。
犬山城が建っている山もチャートでできているのですが、この犬山城のほぼ真下にトンネルがあるんですよ。
堀跡も鮮明なトンネル |
岩石はとても硬いので、トンネルを掘るのは大変だっただろうと思います。 |
現地に行かないとわからないことがあるな、と感じるのは、こういう発見があるときです。
本町通り
犬山城下の本町通りは、小江戸・川越を小さくしたような商店街です。
古い住宅や商店が残されていて、飲食が充実しています。
抹茶パフェにも犬山城 |
実は、奥村邸というフレンチに行きたかったのですが、この日はおやすみでした。
ここには、銀明水というお水が、今も湧き出ているらしいのですが、お屋敷のなかにあるためか、食事は必須のようです。
銀明水は、織田信長が、武田勝頼討伐の際に立ち寄って銀明水を飲んだと伝わります。
銀明水の奥村邸 |
その代わりというわけではありませんが、旅先では天ぷらそば、ということで、たどり着いたのが「蕎麦匠まつい」です。
郡上八幡に本店があるという高級蕎麦店です。
ざるそば1100円、そば屋ならではの天ぷら1100円と、別々にオーダーするシステムです。
が、ランチ時にはお客様がどんどん入ってくるので、人気のお蕎麦屋さんのようです。
自家製粉の手打ちそば |
エビをそばで巻いた天ぷらが美味! |
今回の吉方位旅行では、4回も蕎麦をいただきましたが、「蕎麦匠まつい」が絶品!でした。
一泊目:宿の名誉のために割愛します
最近、このパターンがありますので、少し説明しておきます。
移動の利便性を考えて、犬山駅に近い宿を選んだのですが、これが失敗でした。
この宿は、男性向けの寮みたいな感じで、清潔ですが、女性客のことをあまり考えていないようです。
楽天トラベルで前払いの宿では、以前も失敗しているので、思い出すべきでした。
楽天トラベルで予約するときは、前払い方式の宿、安すぎる宿には要注意です。
岐阜城
犬山城と岐阜城は近いので、木曽川遊覧船に乗船しなければ、1日で巡ることも可能です。
名鉄犬山駅から名鉄岐阜駅までは、電車で40分もかかりません。
ただし、岐阜城につづく金華山ロープウェーに便利なバスは、JR岐阜駅前から出ているので、名鉄岐阜駅からJR岐阜駅まで5分ほど歩きます。
JR岐阜駅 |
バスは、「岐阜公園歴史博物館前」で下車します。
岐阜駅から15分ほどかかり、片道220円となります。
バスのりばにある案内所で乗り場の確認をすると、金華山ロープウェー往復割引券つきの地図がもらえます。
金華山ロープウェーは往復1100円ですが、割引されると1000円になります。
金華山ロープウェー3分で、岐阜城の入り口ともいえる山頂駅に到達します。
公園内から見える岐阜城 |
斎藤道三推しの金華山ロープウェー |
金華山ロープウェー3分で、岐阜城の入り口ともいえる山頂駅に到達します。
ここからは山歩き。
岐阜城は堅固な山城ですから。
鎌倉時代まで歴史を遡ることができる岐阜城は、かつて稲葉山城と呼ばれていました。
岐阜という名称に改めたのは織田信長です。
1601年に、徳川家康によって廃城とされましたが、2011年に城跡および金華山一帯が国の史跡に指定されました。
二の丸門 |
この周辺はハチが多い |
再建天守は想像上のもの |
天守から長良川がよく見えます |
岐阜城からみると天下を治める気持ちになります |
岐阜城の石垣もチャートです |
岐阜城資料館には『麒麟がくる』の衣装が展示されています |
ガイドマップも斎藤道三と織田信長の2種類 |
織田信長居館跡
2015年に日本遺産に登録された織田信長の居館跡は、発掘調査が進む本格的な遺跡です。
ここは、織田信長のおもてなしの場として活用されたそうで、ルイス・フロイスはじめ、多くの人々が織田信長の発想力に驚いた場所だったようです。
岐阜城に行ったら、織田信長居館跡は絶対に押さえておきたい場所です。
金神社
JR岐阜駅にある観光案内所に立ち寄り、市内観光について相談したところ、金(こがね)神社と伊奈波神社をすすめられました。
時間的に2ヶ所は厳しいなと思って、ネットでそれぞれの神社を調べたところ、祭神が重なっていたので、金神社に行きました。
神様同士はネットワークしているらしいので。
金の鳥居 |
金神社は、名前のとおり、財運・金運アップの神社として知られているようです。
伊勢神宮の御札といっしょに、金神社の御札をお祀りすることが良いようなので、御札をいただいて帰りました。
もちろん、おみくじも。
結果は、第一番の大吉でした!
二泊目:長良川温泉 岐阜グランドホテル
自分が選んだわけではなく、予約した宿の事情でお世話になったのが、「岐阜グランドホテル」です。
岐阜城を対岸に見ることができる、由緒あるホテルという印象です。
高級感あるロビー |
洋室以外に和室もあります |
岐阜城がバッチリみられます |
バスルームあり |
清潔で快適な宿です。
長良川温泉
長良川には長良川温泉があるのですが、単純鉄冷鉱泉で、正しくは温泉ではありません。
源泉温度は16.9℃、湧出量は500リットル/分と少ないので、残念ながらかけ流しではありません。
当然ながら、加温・循環・消毒されています。
赤茶けているのは鉄成分のため |
内風呂 |
フレンチの夕食と豪華な朝食
「岐阜グランドホテル」では、フレンチか中華の夕食でしたので、フレンチを選択しました。
吉方位旅行では初のフレンチです。
全体的に、ホテルのフレンチってこういう感じ、という印象を崩しません。
ホタテの前菜 |
コーンポタージュ |
タイのグリル |
このほかに、写真を取り忘れたステーキ(50グラムくらい)があるフルコースです。
デザート |
夕食のフレンチは美味しいのですが、これを上回るのが朝食です。
岐阜周辺の味を詰め込んだ重箱スタイル。
彦根城
3日目は彦根城です。
JR岐阜駅から、JR彦根駅まで、在来線を乗り換えて行きました。
所要時間は、時間帯にもよりますが、2時間はかかりません。
彦根城も、犬山城と同じく、天守が国宝というお城です。
彦根城跡全体としては、国の史跡に指定されています。
天守は、大津城から移築されたもので、1952年に国宝に指定されています。
どこから見ても美しい彦根城天守。
遠目になりますが、玄宮園からみる天守も良いですね。
石垣も絶景で、何層にも重なる石垣を見るには、黒門券売所を入ってすぐにある天守ルートが最適です。
ただし、ハードな山道なので、帰り道に選ぶと良いです。
時代劇といえばココ!重要文化財の天秤櫓
彦根城は、時代劇ファンにはおなじみのお城です。
なかでも、重要文化財の天秤櫓は、よく登場する場所と言えるのではないでしょうか。
大手門券売所(現在は閉鎖)から続く大手道を登っていくとあるのが、天秤櫓です。
けっこう急な坂道 |
天秤櫓の橋 ここで撮影されることが多い |
正面からみた天秤櫓 |
彦根城はフォトジェニックなお城
数あるお城のなかには、写真映りが良い、または写真をたくさん撮りたくなるお城があります。
いわゆるフォトジェニックなお城ですね。
今回巡ったなかでは、彦根城がピカイチでしょう。
石垣、天守、そして名園を備えた城郭は、どこをとっても美しいのですが、残念なのは、電線とか現代の構築物とかが、やたらと多いこと。
できるだけ、そういうものが写り込まないように撮影しているのですが、注意しても注意しても、写り込んできます。
世界遺産にと望んでいるようですが、電線は撤去、変な構造物も撤去していただきたいです。
すごく残念。
夢京橋キャッスルロード
彦根城の京橋をわたると、夢京橋キャッスルロードという商店街があります。
そして、その先には四番町スクエアという商店街も。
彦根城の城内には、食事ができるところはありませんので、これらの商店街が便利です。
京橋 |
江戸時代風に建物の外観を揃えた商店街 |
稚鮎の天ぷら |
大正時代風の四番町スクエア |
残念なのは、夢京橋キャッスルロードも四番町スクエアも、それらしく作ったセットであって、歴史も風格もなにもない点です。
それらしい案内も小憎らしいというか・・・ |
一本裏の寺町にある大信寺は、初代藩主の直政が建てたお寺です。 本物です。 |
時代劇の撮影で潤ってきた街らしいといえば、らしいのですが、川越とか犬山とかに比べると、作り物感あふれる商店街です。
たねや
彦根城下のありさまに少しがっくりしたあとにであったのが、「たねや」です。
和菓子と洋菓子、どちらも味わえるのですが、和菓子が美味しそうだったので、買って帰りました。
店内 |
蓬まんじゅうは春に手摘みしたよもぎを使っています |
「たねや」の和菓子は、ひとつずつ販売しているので、好きなものをチョイスすることができます。
三泊目:かんぽの宿 彦根
彦根城から近く、琵琶湖に面した「かんぽの宿 彦根」は、夕焼けが素晴らしい宿でした。
撮影場所が5階と2階が混在しているので印象が違うかもしれませんが、夕日に琵琶湖が染まり始めてから、完全に陽が落ちるまで、2時間半位かかるでしょうか。
以下、ご覧ください。
「かんぽの宿 彦根」を選んだもうひとつの理由が、いちおう温泉があることです。
千乃松原に隣り合う |
ビジネスホテルみたい |
大浴場からは琵琶湖が一望できます |
ここの温泉は、地下1500メートルから汲み上げているもので、低張性アルカリ性低温泉です。
源泉温度は29.8℃で、加温・循環・消毒しています。
千乃松原 |
近江牛のすき焼き!
夕食は、近江牛のすき焼きにしました。
色がいいですよね、近江牛。
見るからに美味しそう。
すき焼きは、ゴボウが入り、割り下でつくるというスタイル。
作り方をみて、自分ですき焼きをつくるので、自分のペースで食べられます。
突き出し |
お刺身 |
彦根の地酒 |
とても美味しい夕食でした。
そして、朝食は、感染対策にマスクはもちろん、ビニール手袋着用という厳重さ。
驚きました。
安土城跡
JR彦根駅から安土駅までは、15分ほど。
駅前から安土城までは、ゆっくり歩いても30分ほどの距離ですが、タクシーをつかっても1000円はかかりません。
安土駅前の織田信長像 |
安土駅にある観光案内所で地図をもらいつつ、観光スポットを説明してもらいます。
しかし、説明を聞いて感じたのは、安土城跡と安土の町は本物でも、ほかは作り物だということ。
そこで、せっかく説明していただいたのですが、本物だけをみて歩くことにしました。
安土城跡の入り口 ここからさきはトイレがないので要注意! 入場は700円です。 |
大手道 左に羽柴秀吉、右に前田利家の邸宅跡 |
羽柴秀吉邸宅跡 |
秀吉邸宅は上下に分かれているようです |
大手道をどんどん登ります |
途中に石仏がちらほら |
信長の祐筆で茶人だった武井夕庵の屋敷跡 |
武井夕庵の屋敷跡をすぎると大手道は終わります |
安土城の最難関は、大手道を登ること。
岐阜城が戦略拠点だとすると、安土城は政治拠点だと言われますが、登ってみるとよくわかります。
岐阜城に比較すると、安土城は登りやすいですし、わかりやすい構造です。
織田信長が合理主義者であることが、岐阜城と安土城を登り比べることで、理解できると感じました。
いざ、安土城の天守へ
そして、大手道を登りきってからが、安土城天守への道が始まります。
築城当時、石材として使用された仏足石 |
織田信長本廟 |
安土城は観音寺城の石垣を真似て築城された城なので、石垣を見るのも楽しい |
安土城の天守閣(天主堂)は、1582年、本能寺の変の直後に消失し、その後はだれもこの地を利用しようと考えなかったためか、1940年(昭和15年)に発掘調査が行われた際には、当時のままの遺構が残されていたそうです。
いまも、最小限の補強を行っているだけで、発掘当時のままに保存されています。
天守堂跡 |
琵琶湖がみえる |
織田信雄から4代の供養塔 |
天守跡を跡にして摠見寺本堂跡へ |
摠見寺本堂跡から見える西の湖 |
摠見寺仁王門へ |
重要文化財の仁王門 |
安土城跡として有料(700円)で入れる安土山をぐるっと歩いて、早くても90分はかかります。
岐阜城よりも歩きやすいのですが、やはり山歩きに適した靴が必須です。
また、虫も多いので、できれば虫除けスプレーなどを事前にふりかけておくと良いと思います。
百々橋(どどばし)までが安土城
今回歩いてみて感じたのは、百々橋(どどばし)までが安土城だということです。
百々橋(どどばし)は小さな橋なのですが、摠見寺の仁王門を下ってくると、ここに出るようです。
百々橋(どどばし)からみた安土山 |
百々橋(どどばし)から、安土駅にむかって歩くと、古い安土の町並みがわかります。
とにかく道が狭い。
車がとおるのもやっと、という感じです。
活津彦根神社 (いくつひこねじんじゃ) |
東家は織田信長から名前をもらったそうです。 住宅は国の登録有形文化財となっています。 |
こんなところにも鳥居が |
北川湧水と常浜
安土町には、北川湧水、音堂川湧水(おとんどがわゆうすい)、さらに武井夕庵が使用したという梅の川といった湧水があります。
今回は時間もなかったので、北川湧水と常浜だけにしました。
北川湧水は、今も湧出しているようで、きれいな水が流れていました。
かつては琵琶湖に流れ出ていたそうです。
安土は水の町でもあったんですね。
常浜は、かつて観音寺城の外港だった場所で、織田信長の配下では安土城の港として利用されたところです。
昭和初期まで、琵琶湖周遊の拠点となっていたそうなので、この写真の右手は琵琶湖に続いていたんですね。
今はただの堀にしか見えないのが、残念です。
岐阜城は戦略拠点で、安土城は政治拠点だったと書きましたが、安土城が琵琶湖に直結していることも、合理主義者の織田信長にとって魅力だったのだと思います。
残念ながら、中山道は安土城を通らなかったので、織田信長は、勝手に下街道という街道を整備したそうです。
安土城がわずか3年で焼失しなければ、中山道のルートも変わっていたかもしれません。
【方徳】西を吉方でとると
西は七赤金星の定位
七赤金星は、収穫の秋を象徴していて、精錬された金属や、細工された金属製品全般などを表しています。
七赤金星は、喜びや飲食、結婚、金銭の星。
吉方位に西をとると、次のような効果があるとされています。
- 会食の機会が増えて、良いコネクションをつかみチャンスを得ます。
- スタミナがつきます。
- 話術が巧みになり、何気ない一言が開運につながります。
- 現金に関しての喜びがあります。
- 仲介で現金が入ってきます。
- 若い女性に関して良いことが起こります。
- 独身者の場合は、恋愛や結婚のチャンスに恵まれます。
- 飲食物に不自由しなくなります。
【方徳】西の八白土星を吉方でとると
三泊四日の吉方位旅行は、年盤でみた吉方位に行きました。
2021年の年盤では、西に八白土星が位置しています。
物事の終わりとはじまりをあらわすのが八白土星です。
この八白土星を吉方位にとると、
- 交際上手になり、それにともなって仕事がうまく運ぶ。
- 営業状況が良くなる。
- 臨時収入があったり、貯蓄する気持ちが強まる。
- 金運がつく。
- 気が付いたら資産家になっているという暗示がある。
- 親戚・知人との交際が円滑になる。
- 後継者を得たり、不動産を取得したりする。
- 独身者には良縁が舞い込む。
という効果があるようです。
お金を表す七赤金星の定位の西に、八白土星が回座すると、商売繁盛と金運がついてくるようですよ。
しかも、金神社では大吉だったので、吉方位先で宝くじを購入しました。
今回の吉方位旅行で、約65000歩歩きました。
1キロ1500歩とすると、43キロほど歩いたことになります。
城巡りは、足腰を鍛える旅でもありました。
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