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34回目の吉方位旅行は、会津若松市の奥座敷・東山温泉に行ってきました。
東京からみると、会津若松は北になりますので、ご注意を。
実はわたし、あまりの暑さゆえ、東京を遠く離れておりまして、3週間以上の滞在です。
なので東京の自宅ではなく、滞在先からみた吉方位となりますので、あらかじめご注意ください。
かつての東山温泉は、会津藩の湯治場として、また会津藩公が愛した温泉です。
鶴ヶ城からもほど近く、東山温泉から会津若松市内までは10分程度。
市内循環バスに乗れば、どこまで行っても210円という乗車賃で利用できます。
東山温泉駅という停留所で降りると、そこはもう別世界。
昭和なのか、それ以前からの光景なのか、古びた温泉街が姿を現わします。
足湯は新しいのですが、古びた温泉街と調和するように造られています。
東山温泉は、開湯は8世紀後半、または天平年間に、行基によってなされたと伝えられています。
伝承によると、行基は三本足の烏(八咫烏)に導かれて、東山温泉を発見したそうです。
八咫烏は、神武天皇を先導したとされる三本足のカラスです。
また行基は、八咫烏の鳴き声につられて東山の峰をのぞむと、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・妙見菩薩(みょうけんぼさつ)・聖観音(しょうかんのん)があらわれたため、三社権現をたてまつり、この地を霊場としました。
それが、羽黒山湯上神社です。
かつては東光寺というお寺でした。
東山温泉の源泉温度は、50℃~60℃と高めですが、足湯はちょうどよい感じの温度です。
ゆっくり入りながら、土方歳三のウォールペイントを眺めるのも良いですね。
温泉宿は、それらの滝が見える場所に宿をかまえたので、「○○瀧(滝)」という名称の宿が多いのです。
国の文化財となっている「会津東山温泉 向瀧」、会津松平氏の別荘でもあった「会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝」、「会津東山温泉 原瀧(はらたき)」、小原庄助ゆかりの「会津東山温泉 庄助の宿 瀧の湯」などなど。
松平氏の別荘であり、定宿だったためか、「新滝」は竹久夢二や与謝野晶子といった文人に愛された宿です。
なかでも竹久夢二は、何度も滞在し、「宵待草」の発想を東山温泉で得たと言われているようです。
「新滝」は歴史も古いのですが、かつては別荘だったためか、共有スペースのライブラリーラウンジは、まるで別荘のような雰囲気があります。
木材を生かしたインテリアに、とても癒やされます。
代々の藩主が愛したという自噴泉「千年の湯」のほかに、「わたり湯」、土方歳三が傷を癒やした源泉を利用した「猿の湯」など、すべてが源泉かけ流しです。
さらりとした温泉ですが、しばらく入っていると体の芯から温まってきます。
天然岩風呂の「千年の湯」は、50分1000円で貸切にできます。
岩風呂の反対側には、露天風呂もありますが、こちらは25分1000円です。
露天風呂のほうが雰囲気は良いですが、ここはやっぱり、自噴泉のほうを利用してほしいですね。
不動滝庭園混合泉という名称で、源泉温度は52.3℃。
不動滝庭園1号泉というのが、土方歳三が療養した源泉のようです。
どこも清潔に保たれていて、居心地は抜群の温泉です。
館内だけでも湯巡りができますが、姉妹館の「会津東山温泉 くつろぎ宿 千代滝」のほうの温泉も楽しめます。
「千代滝」には、会津の地酒を揃えたバーがあり、一杯300円から900円程度のお手頃価格で楽しめるので、日本酒が好きな方におすすめです。
玄米ご飯、白米、三分づき米の3種類から、ご飯を選ぶことができます。
想像以上に美味しかったのは、レモンサワーでした!
今回は、戊辰戦争にまつわる場所を巡ってみました。
参勤交代、または土津神社参拝のときなどに、旅支度を整えるためにかならず立ち寄る休息所だったそうです。
飯盛山のふもとにある滝沢本陣は、戊辰戦争のときには大本営となりました。
西軍の進行を、戸ノ口原で食い止めようとして、白虎隊に出陣命令が降りた場所でもあります。
同日、土方歳三率いる新選組が、松平容保、白虎隊を護衛していたそうです。
滝沢本陣は、戊辰戦争当時の弾痕や刀傷が残る、生々しい歴史を今に伝えています。
慶応4年(1868年)8月23日、戊辰戦争の戸ノ口原の戦いから敗走した、白虎隊20名が抜け道として使ったことでも知られています。
この用水トンネルは、天保の大飢饉の失業者対策として、55000人を動員して掘られました。
現在は、戸ノ口堰水神社の境内となっています。
斎藤一は、会津藩士の娘・高木時尾と結婚し、会津藩が斗南藩(青森県)に移ったときにも同行し、命運をともにしています。
その斎藤一の墓は、会津東軍墓地として現在は囲われているなかに建つ「戦死墓」の裏側にあります。
「霊魂は会津藩とともにありたい」という、斎藤一こと藤田五郎の意志を感じました。
六角三層、高さが約16メートルあり、らせん形の通路で上り下りする、階段のない一歩通行の建造物です。
日本で唯一の構造物であり、世界的にも珍しい建築物です。
その嘉永蔵は、国の登録有形文化財に指定されています。
嘉永蔵の内部は見学することができます。
予約は必要ありませんが、午前10時から可能です。
所要時間は30分ほどかかりますので、事前に時間を確認すると良いと思います。
また、嘉永蔵には、ここでしか買えない日本酒があります。
さらに、末廣酒造の酒粕をつかった商品も。
お手頃価格で購入できます。
会津は見どころも多く、料理もお酒も美味しいところ。
温泉も、東山温泉、芦ノ牧温泉など、会津の周辺にはたくさんあります。
ぜひ行ってみてください。
北西は、そもそも六白金星の定位。
六白金星は「天」「太陽」を意味していて、完全無欠の存在です。
また六白金星は、鉱物や原石を意味しており、素朴で剛健、磨けば貴石になるという可能性を秘めています。
北西を吉方位でとると、次のような効果があるとされています。
後ろ盾がついて、金銭的にも良いということのようです。
なんだか、良さそうです。
なによりも、活動的になる、というのが一番良い感じがします。
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【日帰り吉方位旅行】猪苗代町中ノ沢温泉と土津神社
湯川沿いに宿が並ぶ東山温泉 |
東京からみると、会津若松は北になりますので、ご注意を。
実はわたし、あまりの暑さゆえ、東京を遠く離れておりまして、3週間以上の滞在です。
なので東京の自宅ではなく、滞在先からみた吉方位となりますので、あらかじめご注意ください。
土方歳三が傷の療養に利用した東山温泉
東山温泉は、土方歳三が、宇都宮で負傷した傷の療養に利用した温泉として知られています。かつての東山温泉は、会津藩の湯治場として、また会津藩公が愛した温泉です。
鶴ヶ城からもほど近く、東山温泉から会津若松市内までは10分程度。
市内循環バスに乗れば、どこまで行っても210円という乗車賃で利用できます。
東山温泉駅という停留所で降りると、そこはもう別世界。
昭和なのか、それ以前からの光景なのか、古びた温泉街が姿を現わします。
国の文化財登録の木造旅館「向瀧」 |
東山温泉の歴史を学びつつ足湯で一服
会津若松市内の観光に疲れた人には、まずは足湯で一服することをおすすめします。足湯は新しいのですが、古びた温泉街と調和するように造られています。
東山温泉は、開湯は8世紀後半、または天平年間に、行基によってなされたと伝えられています。
伝承によると、行基は三本足の烏(八咫烏)に導かれて、東山温泉を発見したそうです。
八咫烏は、神武天皇を先導したとされる三本足のカラスです。
また行基は、八咫烏の鳴き声につられて東山の峰をのぞむと、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・妙見菩薩(みょうけんぼさつ)・聖観音(しょうかんのん)があらわれたため、三社権現をたてまつり、この地を霊場としました。
それが、羽黒山湯上神社です。
かつては東光寺というお寺でした。
東山温泉の源泉温度は、50℃~60℃と高めですが、足湯はちょうどよい感じの温度です。
ゆっくり入りながら、土方歳三のウォールペイントを眺めるのも良いですね。
足湯からは土方歳三ゆかりの岩風呂の案内が |
東山温泉に「○○瀧(滝)」という名称が多い理由とは?
東山温泉湯ノ入湖(東山ダム)が、湯川の上流にできるまでは、段差の多い湯川には滝があちこちにあったそうです。雨降り滝 |
温泉宿は、それらの滝が見える場所に宿をかまえたので、「○○瀧(滝)」という名称の宿が多いのです。
国の文化財となっている「会津東山温泉 向瀧」、会津松平氏の別荘でもあった「会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝」、「会津東山温泉 原瀧(はらたき)」、小原庄助ゆかりの「会津東山温泉 庄助の宿 瀧の湯」などなど。
宿の前には専用橋 |
松平氏別荘だった新滝 |
竹久夢二ゆかりの宿「新滝」
今回の吉方位旅行は雨だったので、東山温泉の周辺観光はあまりできなかったので、お世話になった「会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝」について、詳しく書いていこうと思います。松平氏の別荘であり、定宿だったためか、「新滝」は竹久夢二や与謝野晶子といった文人に愛された宿です。
なかでも竹久夢二は、何度も滞在し、「宵待草」の発想を東山温泉で得たと言われているようです。
「新滝」は歴史も古いのですが、かつては別荘だったためか、共有スペースのライブラリーラウンジは、まるで別荘のような雰囲気があります。
ライブラリーラウンジ |
炉もあります |
フリードリンクには焼酎や梅酒も |
落ち着いた雰囲気 |
階段なのにドアが |
木材を生かしたインテリアに、とても癒やされます。
自噴泉のある会津藩公の別荘
江戸時代には、会津松平氏の別荘であり、明治以降は松平氏の定宿だったという「会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝」は、意外にもリーズナブルな宿です。代々の藩主が愛したという自噴泉「千年の湯」のほかに、「わたり湯」、土方歳三が傷を癒やした源泉を利用した「猿の湯」など、すべてが源泉かけ流しです。
天然岩風呂「千年の湯」
源泉温度が36.9℃ですが、東山温泉の源泉が混ぜられているため、ちょうどよい温度に調整されています。さらりとした温泉ですが、しばらく入っていると体の芯から温まってきます。
川べりにむかって階段を降りていきます |
これが自噴泉 |
天然岩風呂の「千年の湯」は、50分1000円で貸切にできます。
岩風呂の反対側には、露天風呂もありますが、こちらは25分1000円です。
露天風呂のほうが雰囲気は良いですが、ここはやっぱり、自噴泉のほうを利用してほしいですね。
土方歳三が療養した源泉かけながし「わたり湯」「猿の湯」
千年の湯の露天風呂、そして「わたり湯」「猿の湯」は、混合泉です。不動滝庭園混合泉という名称で、源泉温度は52.3℃。
不動滝庭園1号泉というのが、土方歳三が療養した源泉のようです。
どこも清潔に保たれていて、居心地は抜群の温泉です。
館内だけでも湯巡りができますが、姉妹館の「会津東山温泉 くつろぎ宿 千代滝」のほうの温泉も楽しめます。
「千代滝」には、会津の地酒を揃えたバーがあり、一杯300円から900円程度のお手頃価格で楽しめるので、日本酒が好きな方におすすめです。
和モダンの部屋 |
アメニティも充実していました |
郷土料理と会津の地酒
食事は、会津の郷土料理と地酒が楽しめます。ゆば刺しは塩で |
別注で馬刺し |
米どころらしいインテリア |
玄米ご飯、白米、三分づき米の3種類から、ご飯を選ぶことができます。
想像以上に美味しかったのは、レモンサワーでした!
会津の市内観光も
はじめにも書きましたが、東山温泉は市街地にとても近いので、市内循環バスを利用して観光も満喫できます。今回は、戊辰戦争にまつわる場所を巡ってみました。
滝沢本陣横山家住宅
国指定重要文化財で、文部省指定史跡でもある会津藩の本陣だった、滝沢本陣横山家住宅。参勤交代、または土津神社参拝のときなどに、旅支度を整えるためにかならず立ち寄る休息所だったそうです。
西軍の進行を、戸ノ口原で食い止めようとして、白虎隊に出陣命令が降りた場所でもあります。
同日、土方歳三率いる新選組が、松平容保、白虎隊を護衛していたそうです。
滝沢本陣は、戊辰戦争当時の弾痕や刀傷が残る、生々しい歴史を今に伝えています。
戸ノ口堰洞穴
戸ノ口堰洞穴は、猪苗代湖から会津若松に水を運ぶ用水路の最後の関門であった、飯盛山を掘り抜いた長さ150mの用水トンネルです。慶応4年(1868年)8月23日、戊辰戦争の戸ノ口原の戦いから敗走した、白虎隊20名が抜け道として使ったことでも知られています。
この用水トンネルは、天保の大飢饉の失業者対策として、55000人を動員して掘られました。
戸ノ口堰水神社 |
現在は、戸ノ口堰水神社の境内となっています。
斎藤一(藤田五郎)の墓
最後の新選組局長として、最後まで会津藩に付き従った斎藤一の墓が、七日町にある阿弥陀寺にあります。斎藤一は、会津藩士の娘・高木時尾と結婚し、会津藩が斗南藩(青森県)に移ったときにも同行し、命運をともにしています。
その斎藤一の墓は、会津東軍墓地として現在は囲われているなかに建つ「戦死墓」の裏側にあります。
「霊魂は会津藩とともにありたい」という、斎藤一こと藤田五郎の意志を感じました。
さざえ堂
国の重要文化財となっている「さざえ堂」は、寛政8年(1796年)に、郁堂和尚が考案、建立しました。六角三層、高さが約16メートルあり、らせん形の通路で上り下りする、階段のない一歩通行の建造物です。
さざえ堂 |
螺旋状であることが外観からもわかります |
日本で唯一の構造物であり、世界的にも珍しい建築物です。
さざえ堂で最も高い場所 |
末廣酒造 嘉永蔵
嘉永3年(1850年)創業の末廣酒造。その嘉永蔵は、国の登録有形文化財に指定されています。
嘉永蔵 |
嘉永蔵の内部は見学することができます。
予約は必要ありませんが、午前10時から可能です。
所要時間は30分ほどかかりますので、事前に時間を確認すると良いと思います。
また、嘉永蔵には、ここでしか買えない日本酒があります。
さらに、末廣酒造の酒粕をつかった商品も。
お手頃価格で購入できます。
酒蔵ショップ |
右がショップ限定の嘉永蔵大吟醸 |
白身の焼き魚と一緒に食べると本当に美味! |
地酒がセリーになって入ったチョコレート |
会津は見どころも多く、料理もお酒も美味しいところ。
温泉も、東山温泉、芦ノ牧温泉など、会津の周辺にはたくさんあります。
ぜひ行ってみてください。
【方徳】北西を吉方でとると・・・
北西は六白金星の定位
今月の北西には六白金星が回座しています。北西は、そもそも六白金星の定位。
六白金星は「天」「太陽」を意味していて、完全無欠の存在です。
また六白金星は、鉱物や原石を意味しており、素朴で剛健、磨けば貴石になるという可能性を秘めています。
北西を吉方位でとると、次のような効果があるとされています。
- 目上の人の引き立てがあります。
- 新しい仕事が生まれます。
- 独立精神が旺盛になります。
- 実行力がつきます。
- 勝負運が強くなります。
- 投機的なことで成功します。
- 博愛的な気持ちが生じます。
- 信仰心が厚くなります。
【方徳】北西の六白金星を吉方でとると
北西の六白金星を吉方としたとき、次のような方徳があるとされます。- 心身が充実して活動的になります。
- 実力のある後援者を得て、トップの座につきます。
- 指導者やリーダーなど、人の上に立つような人物になれます。
- 出世します。
- 物質的にも恵まれ、株式や投機などで大きな利益を生みます。
後ろ盾がついて、金銭的にも良いということのようです。
なんだか、良さそうです。
なによりも、活動的になる、というのが一番良い感じがします。
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