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28回目の吉方位旅行は、福島県の土湯温泉でしたが、小さなパワースポットがあります。
前回のブログで紹介した聖徳太子堂は、土湯温泉の開湯伝説とも関係の深いパワースポットですが、土湯温泉には、もうひとつのパワースポットがあります。
それが、日尊堂です。
日蓮本宗とは、日蓮宗の一派となります。
この日尊は、35歳のときに法華経を全国に広めようと旅にでて、36の寺を造ったといわれています。
日尊は奥州生まれで、旅の途中に土湯温泉に立ち寄ります。
そのときに泊まった宿が「山根屋」です。
細い石段を登るようにして日尊堂に行ったので、歴史ある場所なのかと思いきや、だまされました。
でも、日尊というお坊さんが、土湯温泉に立ち寄り、奥州へ法華経を伝えたことを記念した場所と考えれば、歴史の重みを感じます。
なにしろ鎌倉時代、800年も昔のことですから。
聖徳太子堂のひだり側にある石段を登った先にあります。
古い温泉地には、温泉の効能の高さからか、薬師如来など病気平癒に関係の深い仏様をお祀りしたお寺やお堂が少なくありません。
薬師如来と薬師瑠璃光如来とは同一ですが、「瑠璃光を以て衆生の病苦を救う」ことから、薬師如来を薬師瑠璃光如来と称する場合があるということのようです。
惟喬親王(これたかしんのう)は、文徳天皇の第一皇子なのですが、天皇にはならなかった人物です。
惟喬親王は、隠棲先の住民に木工技術を伝え、これが木地師のはじまりであるとされています。
木地師とは、ろくろを使って木工製品をつくる人のことであり、惟喬親王は木地師の祖として、全国の山間部で祀られているのだそうです。
土湯温泉はこけしで有名ですが、こけしも木地師と関係が深いこともあり、惟喬親王がお祭りされているのではないでしょうか。
はじめは、真宗本願寺派のお寺として、親鸞上人の高弟である性信上人に開かれて方徳寺と号していました(1250年)。
その後、直江兼続が、九山禅師の隠居寺として、方徳寺を興徳寺と改め、再興しました(1615年)。
九山禅師は、岩城の国の人でしたが、宇都宮で直江兼続と出会い、兼続の庇護のもと、足利学校で学びます。
直江兼続が、禅林寺(のちの法泉寺)を創建するにあたって九山禅師を呼び寄せ、米沢藩の子弟を教育する学問所「禅林文庫」を創設するのです。
九山禅師は、京都の天龍寺の庭園を真似た庭を作ったそうです。
九山禅師は、上杉家と直江兼続に愛された禅僧で、土湯温泉の興徳寺で生涯を終えました。
山深い温泉地でも、1000年を超える歴史のある場所には、それなりの重みがあるのだと感じる逸話です。
<関連の投稿>
【北へ吉方位旅行】千年以上の歴史を持つ土湯温泉
前回のブログで紹介した聖徳太子堂は、土湯温泉の開湯伝説とも関係の深いパワースポットですが、土湯温泉には、もうひとつのパワースポットがあります。
それが、日尊堂です。
日尊堂 |
日尊(にちぞん)とは?
日尊とは、日蓮本宗の始祖であり、京都要法寺を開山した鎌倉時代の僧です。日蓮本宗とは、日蓮宗の一派となります。
この日尊は、35歳のときに法華経を全国に広めようと旅にでて、36の寺を造ったといわれています。
日尊は奥州生まれで、旅の途中に土湯温泉に立ち寄ります。
そのときに泊まった宿が「山根屋」です。
山根屋 |
山根屋から見える日尊堂 |
日尊堂とは?
鎌倉時代の話なので、日尊堂とはさぞかし古いものなのだろうな、と思って由来書きを読んでみると、建設は平成5年とありました。細い石段を登るようにして日尊堂に行ったので、歴史ある場所なのかと思いきや、だまされました。
でも、日尊というお坊さんが、土湯温泉に立ち寄り、奥州へ法華経を伝えたことを記念した場所と考えれば、歴史の重みを感じます。
なにしろ鎌倉時代、800年も昔のことですから。
薬師こけし堂
薬師こけし堂は、薬師瑠璃光如来と惟喬親王(これたかしんのう)をお祀りしたお堂です。聖徳太子堂のひだり側にある石段を登った先にあります。
古い温泉地には、温泉の効能の高さからか、薬師如来など病気平癒に関係の深い仏様をお祀りしたお寺やお堂が少なくありません。
薬師如来と薬師瑠璃光如来とは同一ですが、「瑠璃光を以て衆生の病苦を救う」ことから、薬師如来を薬師瑠璃光如来と称する場合があるということのようです。
惟喬親王(これたかしんのう)は、文徳天皇の第一皇子なのですが、天皇にはならなかった人物です。
惟喬親王は、隠棲先の住民に木工技術を伝え、これが木地師のはじまりであるとされています。
木地師とは、ろくろを使って木工製品をつくる人のことであり、惟喬親王は木地師の祖として、全国の山間部で祀られているのだそうです。
土湯温泉はこけしで有名ですが、こけしも木地師と関係が深いこともあり、惟喬親王がお祭りされているのではないでしょうか。
直江兼続と土湯温泉
薬師こけし堂と聖徳太子堂がある興徳寺は、上杉家の歴史と関係の深いお寺です。はじめは、真宗本願寺派のお寺として、親鸞上人の高弟である性信上人に開かれて方徳寺と号していました(1250年)。
その後、直江兼続が、九山禅師の隠居寺として、方徳寺を興徳寺と改め、再興しました(1615年)。
九山禅師は、岩城の国の人でしたが、宇都宮で直江兼続と出会い、兼続の庇護のもと、足利学校で学びます。
直江兼続が、禅林寺(のちの法泉寺)を創建するにあたって九山禅師を呼び寄せ、米沢藩の子弟を教育する学問所「禅林文庫」を創設するのです。
九山禅師は、京都の天龍寺の庭園を真似た庭を作ったそうです。
九山禅師は、上杉家と直江兼続に愛された禅僧で、土湯温泉の興徳寺で生涯を終えました。
山深い温泉地でも、1000年を超える歴史のある場所には、それなりの重みがあるのだと感じる逸話です。
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